ここ数年で「スピリチュアル」「マインドフルネス」「アセンション」等の言葉が急速に浸透し、新時代の到来の幕開けを感じます。
一方、コロナの影響などをはじめ世界中で、不安、怒り、憎しみの連鎖がとどまる気配も見えません。
こんな時代に節目に「心穏やかに、楽しく人生を送る」その指針となり得る一冊があります。
それが、このたび紹介する『リヴィング・ウィズ・ジョイ』です。
その書いてある内容は、スピリチュアルに興味がある方も、そうでない方においても、その双方にとって役に立つ、実用的な「心のガイドブック」。
この本の伝えるメッセージを取り入れる人が増えていけば、多くの人が心穏やかに楽しく生きられる「明るい新時代」がやってくる!そのように感じています。
今回は15章「自由はあなたの生まれつきの権利です」の項に触れていきます。
目次
『リヴィング・ウィズ・ジョイ』(サネヤロウマン)15章「自由はあなたの生まれつきの権利です」
・自由は内なる感覚であり、自分が欲しいものを得られる能力。さらに、自分が人生という名の船の船長であり、自分の人生を所有し、その責任を取っていることを知っているということです。
・自分が囚われていると感じたり、自分の権利が奪われていると感じるところが少しでもあると、喜びを経験することができない。自由は喜びのためになくてはならないもの。
・あなたは自由意志の惑星に住んでいて、そこで作用と反作用、原因と結果について学んでいます。地球の現実は、選択に基づいているので、人生はどんな状況を経験しているにしても、また、自分には自由があると考えていてもいなくても、その状況にいることを選んだのは、あなたなのです。
・あなたは試行錯誤をしながら、地球という自由意志の学校の中で、自分の行為の反作用と結果を通じて、常に成長し、学んでいるのです。
自由に対する唯一の制限は、あなたが自分に与える制限だけです。
・子供は、自由に新しいやり方で反応し、先入観なしに学び、成長します。子供が成長し、マインドを発達させるにつれて、自由の感覚が失われます。マインドはパターンを探し始めます。
・例えば、ある女性は、自分の創造的な仕事を肯定することをしばしば忘れていたのですが、自分が小さな子供だった時、誰かが自分の描いた絵をあざ笑ったことを思い出しました。彼女は、自分の創造的仕事を人々に見せることを恐れるようになり、自分のデッサンを隠し始め、ついに自分のあらゆる創造的努力を非難するようになったのです。
・自由は、あなたの生まれつきの権利です。またそれは、あらゆる人のものでもあります。今、あなたは「私は自分のあれやこれやの領域で自由ではない。私は自由に仕事もやめることができないし、世界旅行もできないし、自分のしたいこともできない」というかもしれません。しかし、あなたは自分が自由だと信じる程度に自由なのです。
自分の人生にもっと自由を生み出すためには、自分が自由を持っていない領域ではなく、自分が自由を生み出してきた領域を見てください。
・もっと自由を持つために、自分がすでに自分の権利として主張している自由を見てください。自由がないことで、自分をかわいそうと思うことは、自分を犠牲者の役割に置いてしまいます。自分自身を犠牲者として経験するときはいつでも、あなたは弱くなります。
・代わりに、自分が他人や状況の犠牲者であることを選んでいない領域を見てください。すべての人々が、自分の人生の多くの領域で自由を生み出しています。
・他人から奪われていると感じる事は何でも、自分が自分自身から奪っていることの象徴です。
・他人は、あなたが自分自身にしていることを示すための鏡の役割を果たしています。この場合、次のように訪ねることができます。「私は何らかの形で自分自身から何か奪ったり、自分が必要としていることに充分な関心を払っていないのではないだろうか」と。あなたはまず、これらの必要性が何かを見て、それらに自分が関心を払うことを決心することができます。
・自由は、あなた自身が生み出すものです。それは、あなたに与えられるものではないし、あなたから取り去ることができるものでもありません。
あなたが宇宙に明確なメッセージを送り出すとき、欲しいものはほとんど争わずに手に入ります。
・あなたは今までに、あらかじめ何かについて繰り返し言い、自分が欲しいものを明確にしたら、自分が頼む必要さえなかったということに気付いたことはありませんか?欲しいもののために努力するということは、自分がそれを持つに値するかどうか、自分で確信できないときのみ、起こることが多いのです。
・働いている多くの人々は、自分は自由ではないし、9時から5時までの間どこか自分は自由をあきらめていると感じています。自由とは一つの態度です。こういう状況の中で自由を経験するためには、より広い全体像を見ることが必要です。あなたはなぜその仕事についているのですか?もしそれがお金のためなら、覚えておくべきことは、あなたはお金を稼ぐために自由にこの仕事を選んだのであり、だから、お金を稼ぐためにいつでも自由に仕事を選べるということです。
・自分が選ぶどんなやり方でも自由に反応し、行動し、感じることができるということを理解すると、一瞬一瞬自由の感覚を生み出すことができます。あなたは自分の仕事の枠の中で、自由に話し、行動できるのです。
・あなたがするあらゆることの中に、常に自由の次元があります。自分が次週であるところを見てください。その自由に焦点を合わせれば、それは人生で増えていくでしょう。
・自由に対する障害は、あなたの世界に対する見方です。自由の欠如は他人のせいではなく、自分自身の考え方のせいなのです。ある状況にいかに対応するかに対して、自分に選択を許さないことで、多くの人々は自分の自由を奪ってきました。たとえば、友達がいつもあなたを批判し、あなたはいつも傷ついたり、怒ったりして反応するとします。しかし、新しい反応の仕方を見つけることで、再び自由を得ることができます。すなわち、自分の反応と存在の仕方を選ぶ自由、自分のエネルギーを引き上げるように行動する自由です。
・あなたは他人を変える必要はありませんが、彼らに対する自分の反応を変えることができます。自分が気分よく感じる事を選ぶとき、他人があなたの気分を良くするために反応することに、あなたは依存しません。あなたを援助し、認め、あなたに感謝する人々を引き付けることができる前に、自分でそうすることを選ばなければならないのです。
自分を援助し、認める程度だけ、あなたは援助を受けることができます。
・誰かがあなたを批判し、やり込め、傷つけるように行動すると、以前のあなたなら苦痛に感じるやり方で反応しました。しかし、今では同じ状況でも、自分自身について心地よく感じる事を選ぶたびに、喜びを選んでいるのです。あなたがそうするたびに、自分の人生に自由を生み出します。自分が幸福であるために、他人を有るやり方で無理やり行動させる必要性から、あなたは解放されています。また、あなたは自分自身の期待からも自由です。
・苦痛の感覚はしばしば、より広い全体像を見るより、細かいことに捉われることから生まれます。たとえばる女性は、彼氏が花を持ってきてくれなかった時、とても失望しました。しかし、彼女がより広い全体像を見始めたとき、その男性が彼女を深く愛していて献身的だが、花を送ることに関しては愛の表現と思っていないことに気付きました。彼女は二人の間にあるすべての良いことを見るにつれて、自分が自身の期待に捉われてていたことを理解したのです。彼女は、習慣から苦痛を選んでいたのでした。
自由を得るために、喜んで自由を与えて下さい。
・あなたは他人を所有することはできないし、また、あなたが誰かから自由を奪っているときに、平等の関係を持つこともできません。すべての人々は、自分たちをワクワクさせ、自分たちの成長を促すことをやる権利を持っています。
・人々に自由を与えるほど、人々はますますあなたと一緒に居たがるようになります。あなたは、他人から要求されたくないことを、他人に要求していませんか。彼らがあなたに状況を報告し、あなたのイメージに従って生き、あなたが望むときにはいつでも、そこにいることを期待していませんか。他人にから奪っている自由の程度だけ、あなたは自分自身から自由を奪っています。
・嫉妬は、嫉妬する人もされる人も、その両方の自由を奪ってしまいます。もし自分が必要なものを自分自身に与えれば、それが関心であれ、愛であれ、他の何であれ、あなたは嫉妬を経験しなくなります。あなたは自分が、自分の愛する人からだけでなく、多くの源泉から満足を得ることができることに気付くでしょう。嫉妬は、充分にないという欠乏を示唆しています。それに対して、自由は、十分にあるという豊かさを示唆しています。
自分の近くにいるあらゆる人々に、喜んで自由を与えることを今、決心してください。
・人々に彼ら自身の間違いをさせ、彼ら自身の喜びを発見させてください。他人に自由を与えるときはいつでも、彼らはもっと大きな愛と尊敬をもってあなたのところへ戻ってくるでしょう。他人に自重を与えることは、中心とバランスを保ち、安定している人にのみ出来ることです。自由は彼らとあなたの両方にとって贈り物です。
・自分が望む反応の仕方を選べるとき、あなたは自由です。もし喜びで反応することを選ぶことができれば、そしてもし、肯定的なモノを見、自分を責めるより肯定することで、反応することを選ぶならば、そのときあなたは、究極の自由、すなわち、自分のより深い自己を映し出すような状態で存在し、行動する自由を得たことになるのです。
15章「自由はあなたの生まれつきの権利です」の考察および感想
自由に関しての本章での内容は、ここまでにふれられてきた「感謝」「内なる感覚」「バランス」「明晰さ」を確立してきた前提にて、真に確立されるものなんですね。
自分を自由にして、なおかつ他人をも自由にすることでこそ、真の自由は得られる。そこから得られる”自身の人生の学び”を、それぞれが得ることこそ、私たちの人生の中で課せられた使命なのだなーと、個人的には思っています。
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